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雑記
「「失われたアーク」の発掘調査始まる イスラエル」



IsraelNews
この度、映画インディ・ジョーンズのモデルとなったとされる考古学者ヴェンディル・ジョーンズ氏が"アーク(聖櫃)"の位置をほぼ特定し、イスラエルにて発掘調査を開始するとのこと。アークとは、かつて旧約聖書(出エジプト記)に記された、モーゼがヤハウェ神から授けられた十戒の石板を納めるべく作られた"契約の箱"である。アークはその後ペリシテ人に強奪され、ダビデが取り戻した後は、エルサレム神殿(ソロモン神殿)内に安置されていたとされるが、神殿の崩壊(バビロンの捕囚)と共に旧約聖書の中からその姿を消し、現在では"失われたアーク"として知られている。

発掘を行うジョーンズ氏によれば、タルムード(ユダヤの口伝律法をまとめた書)には、アークはかつてソロモン神殿が建立されていた"神殿の丘"の地下に隠されていると記され、実在するその地下道は南方に凡そ18kmの長さで続き、ユダヤ砂漠の下にまで延びているという。

氏はこれまで十数年に渡って米テキサスとイスラエルを往復し、タルムードの研究を進めると共に、数多くのラビやカバリストと接触し、発掘許可を待ち続けてきた。そして昨年、いよいよラビ達からの発掘許可を得ることに成功し、今年3月からイスラエル入りしたのである。

しかし到着後、ジョーンズ氏は再び問題に直面した。資金調達が遅れ、更に直前になって再び発掘中止命令が下されたのである。氏によれば、その命令はそれまで謁見したことさえない謎の上級カバリストから、"今は発掘を行うべき時ではない。発掘調査開始を中止せよ"という伝言として届けられたという。そしてジョーンズ氏は再び待機する日々が続いたが、先週になり、再び伝言者を通じてジョーンズ氏のもとに次のようなメッセージが届けられたのである。

"時は来た"

現在、発掘準備の最終段階に入ったジョーンズ氏によれば、アークの発見はティシャーバブ(8月14日)になるだろうと語っている。その日はかつて、エルサレム神殿(第一、第二)が崩壊したユダヤの記念日である。博士によれば、現在のイスラエルの情勢は、かつてユダヤの民が苦難を乗り越え、エジプトから逃れた時と、ぴたりと符号するという。

「もしも歴史は繰り返すのならば、歴史とは、すなわちそれ自体が預言になるはずです。もともとイスラエルはその他の多くの国々と、全く異なっています。しかし何よりも興味深いのは、その歴史が実際に起こるより先に、記されていることなんです。」


かつてキリスト教牧師でもあったジョーンズ氏(写真)は、現在ではノアイデ運動の中心的存在となっている。ノアイデとはノアが定めたとされる人類全体(異邦人)が従うべきとされる七条の戒律である。また氏はタルムードの研究から精力的に執筆活動も行い、例えば1959年の著書においては、出エジプトから第一エルサレム神殿崩壊までの日数を分析し、その8年後に起きた1967年の6日戦争(第三次中東戦争)の勃発を正確に予言しているのである。博士によれば、聖書の分析から得られる過去の歴史を現在に照らし合わせるならば、イスラエル建国の1948年から現在に至る期間は即ち、"第三神殿期"と考えることが出来るという。

またトーラーのひとつ、バミドバル(民数記、数秘術の一種)には次のような一節がある。"20歳以上の全ての男は、戦争に行く"。第三次中東戦争時、唯一の非ユダヤ系アメリカ人として戦線に加わったジョーンズ氏はこれを次のように解読している。

「(第三次中東戦争が起きた)67年とは、イスラエル建国の1948年を含めて、建国から20年目の出来事に当たります。出エジプト記によれば、ユダヤの民はシナイ山における2年間を経て、カデシュ・バルネアに向かいました。それはユダヤの民がジェリコを経てイスラエルへと向かう最初の出来事だったんです。そして1967年、ユダヤ人は再び同じような行動を取ったわけです。これは著しい類似です。」

「カデシュ・バルネアに着くと、ユダヤの人々は各部族から12人の偵察を送りました。結果、その偵察情報を信じたために、ユダヤの民はジルバルに入るまで38年間を荒野で過ごさねばならなくなった、と記されているわけです。そして現代を見てください。1967年は、言うなればカデシュ・バルネアの再現です。もし当時、イスラエルが更に攻め込んでいたら、1948年同様、アラブ人は逃げ続けたでしょう。しかし、ゴルダ・メイアとモッタ・グル、モシェ・ダヤンは偵察情報に基づいてこう言ったわけです。"我々にそれは出来ない。世論はそれを許さないはずである"。その為にイスラエルは38年間に渡り、再び荒野を彷徨うことになったわけです。そしてそれから38年目が今年の6月7日、エルサレム・デイとなるわけです。」

インディ・ジョーンズ

冒頭に記した通り、ヴェンディル氏の探求の足跡は、そのまま聖遺物を巡る考古学者の冒険を描いた人気映画三部作「インディ・ジョーンズ」に大きな影響を与えているという。特に第一作目の「失われたアーク」の草稿を描いたランドルフ・フィルモア氏は、もともと1977年、ジョーンズ氏のもとでボランティアとして発掘を手伝っていた人物であるとヴェンディル氏は話している(注1)。

「彼が私をモデルに映画の原作を書きたいというので同意しただけです。ただしそれには二つの条件をつけました。それはまずこのイスラエルを舞台にしないということ、そして決して私の名前を使わないということです。現在アークの在処を巡ってはローマ、エチオピアなど、諸説があるようですが(注2)、私としては真にアークが眠っているこのエルサレムが映画によって衆目を集めることは避けたかったわけです。結局、彼は私の名前"VENDYL"から最初と最後の文字をとって、主人公の名前を"ENDY JONES"としたわけですけどね。」

そして公開された映画「インディ・ジョーンズ」において、ジョーンズ博士がアークを発見し大活躍する一方、"本物の"ジョーンズ氏は依然としてアークの手がかりを掴めずにいた。しかしそれから数年、ジョーンズ氏は死海文書と共にクムラン遺跡の中から発見された通称"カッパー・スクロール(銅の巻物:財宝の在処が記されていると言われる謎の巻物)"の解読研究を行い、ついに"失われたアーク"への手がかりを得たのである。


カッパー・スクロール


「カッパー・スクロール(写真)の最初の五行にはこう記されています。"勾配の始まりにあるアシュルの谷の廃墟、東方にある山、四十の玉石に覆われた場所" - つまりそこにアークと財宝が眠っているわけです。そして我々はここ数年に渡って、その場所を探し続けてきました。実際にそういう玉石のある場所を数え切れないほど歩いてきたんです。そしてある時、大きな石を見つけたんですが、それが山のものではなく、全く別の場所から運ばれたものであることが分かったんです。」

そしてついに洞窟の位置を突き止めたジョーンズ氏は、アシスタントである息子を連れていよいよ中へと踏み込んだのである。その地下道はエルサレムの古都、ジェファ・ガテの側から死海方面へ向けて伸びているという。

「その時、私は息子と二人で凡そ1時間20分に渡ってその地下道を探索しました。中は非常に複雑で入り組んでいたんですが、私は目印を付けて進むことを忘れていたんです。だからその時、私は息子に言ってひとまず準備を整えるために引き返すことにしました。そしてそれから再び探索を行う為に許可申請を出したんですが、それが拒否されたんです。私はその時、まだイスラエルの事をよく分かってなかったんですね。ここでは許可を得ることは、赦しを得ることよりも遙かに大変なことなんです。」

預言、歴史

またジョーンズ氏は、現在政府が計画しているガザ地区、北サマリアからのユダヤ人撤退策に、真っ向から反対しているという。

「それは何の解放にもつながりません。イザヤ書の第一章にはこうあります。"聖都はいかにして淫婦になり果てたか?正義に満ちた町は殺人者となった。統治者は泥棒の友であり、大臣は買収の友である"。預言者が語っているのは当時のことではありません。今日のことなんです。神はこう言いました"私は彼らを始まりに戻す。そして始まりの時と同じように、私は再び、彼らを裁く者と導く者を選ぶ。"」

そう語るジョーンズ氏は現在のシャロン政権は間もなく歴史の一部になるだろうことを主張している。そして神の預言と現代を重ね、次のように語っている。「昨年の10月13日には71人のサンヘドリン(ユダヤの最高法院)が選出されました。そしてこれから我々がすべきなのは選挙によって指導者を選ぶことです。」

ジョーンズ氏によれば、アークの発見は"世界を正しい方向に向かせる"ことに繋がるという。

「私が洞窟内の部屋にドリルで穴を開けて、ピンカメラをそこに落としたとき、全ては変わるでしょう。信じてください。ユダヤの民は再び戻ってくるんです。」

【注1】モデルとなったというのは主にヴェンディル氏の主張により、この主張には疑問を呈する者も多い。実際にはロン・ワイアット氏を始め、他にも多数の"インディー・ジョーンズのモデル"が存在すると言われる。また他には実際にモデルとなった人物はおらず、単にジョージ・ルーカス氏の飼い犬の名前がインディだったとする説などもある。


アークの所在を巡ってはシナイ山、死海、更には日本の剣山や伊勢神宮をはじめ、数え切れない諸説が存在している。中でも世間を騒がせたのは、上述のロン・ワイアット氏がゴルゴタの丘から発見したとされる1998年の聖櫃発見報道である(実際には1982年1月6日に発見されていたが、当局により発見事実を隠蔽されていたとも言われている)。ワイアット氏は聖櫃の写真を撮影して公開しているが、それは非常に不鮮明なものである(写真)。また発見された洞窟はイスラエル当局によって再び閉鎖されたという逸話もあり、いずれにせよ現在では真相は定かではない。

また比較的有力とされるエチオピア説は、旧約聖書(列王記)においてソロモン王のもとをエチオピアの女王シバが訪れた経緯が記されていることに由来している。またその具体的な経緯については以下のような諸説がある。

1.ソロモン王がシバに望む限りの宝物を与えたと書かれていることから、シバが聖櫃を持ち帰ったとする説
2.ソロモン王とシバの女王がセックスし、生まれたメネリク一世(エチオピアの初代皇帝)が後にエルサレムを訪ね、持ち出したという説
3.ソロモン王がシバの女王にセックスをさせてもらう代わりに上げてしまったという説


そして現在でもエチオピア北部のアクサムには本物の聖櫃が安置されるとする教会(写真)があり、一般の立ち入りを禁止し、厳重な警備がしかれている。また「神々の指紋」を著したグラハム・ハンコックもこのエチオピア説を支持している。