
【dimensions+etc】
ブリタニカ百科事典は永久運動について以下のように定義している。「一旦動き始めたらば、その後動作を維持する為のいかなる付加的な動力なしに、その運動を永久に維持し続けること」。しかし、実際にそのような永久運動を行う装置がこの世に存在するだろうか。おそらく"常識的には"不可能だろう。しかし、これまで人類の歴史においてこの永久運動を可能にする永久運動機械は科学者をはじめとした人々の決して叶わぬ夢として存在し続けてきたことは事実である。永久運動機械が何故一体人の興味を惹き付けて止まないのか、それは間違いなく、一度動き始めるや、決して止まる事無く動力を維持し続けるというその無限への可能性である。しかし、実際のところ、このような永久運動機械が実現する可能性はほぼ皆無であると言われている。永久に動き続ける機械 - それはそのまま現在の物理学の基本を成す熱力学の第一法則:エネルギー保存の法則をまるで無視した存在とならなければならないからである。しかし、歴史上、ただひとり、この永久に動き続ける機械を発明したと言われる人物がいることをご存知だろうか。ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラー、またの名をオルフィレウス - それは神の法則に逆らった男の名である。
オルフィレウスは1680年、ザクセンはツイタウで生まれた。そして32歳の時に永久運動の謎を解き明かしたと世間に公表したのである。

オルフィレウス(写真)の発明は1717年に作成されたライプツィヒの学問調書に記録されているが、記述によれば、ゲラという町にて厚さ10cm、直径90cmの自動輪を公開したのがおそらく最初である。その車輪はオルフィレウスによって軽く押されるなり、やがてその回転速度を増し、車輪にくくり付けられたロープによって重さ3kg程度のものを持ち上げることに成功した。しかし、ゲラの町の人々の反応は冷ややかなものだった。オルフィレウスのその人を食ったような性格が災いし、彼の発明は多くの人々に無視されてしまったのである。そして彼は車輪の図面を抱えたまま町から町を渡り歩く事になる。
1713年、オルフィレウスはドラシュヴィッツという町で、今度は直径150cm、幅15cmの更に大きな車輪を作って披露した。その機械は一分間に50回転し、重さ20kg程度のものを持ち上げることに成功した。そしてその頃から、オルフェリウスの評判は町から町へと広がりはじめ、彼は一躍有名人への道を歩みだしたのである。
そして1716年にはヘッセン・カッセルのカール大公がオルフェリウスとその奇妙な仕掛けの噂を聞きつけ、彼を町へと招待した。そしてオルフェリウスの見事なデモンストレーションに感激した大公は、彼を町の役人として迎え入れると共に、ヴィゼンシュタイン城に住まわせ、彼のスポンサーとなって永久運動機械の研究援助を始めたのである。
そうしてついに安住の地を得たオルフェリウスはそこで更なる研究を重ね、ついに庭園の小屋を利用し、直径3.6m、厚さ35cmから成る巨大な車輪を製作した。しかし発表された機械は歯車を除いた全ての部品が油布で覆い隠され、内部の仕組みが一切分からないようになっていたのである。そしてその後、機械は数ヶ月間に及び城の中で一般に公開されたが、用心深いオルフィレウスはその機械の展示中、決して誰も機械をいじらないようにカール大公から派遣された警備員を機械の周囲に配置したと伝えられている(しかし、オルフィレウスはそれでも安心できず、警備員が彼の発明を盗まないように、警備員を監視する警備員を雇いさえしたという)。そして展示期間中、実際にたくさんの人々がその機械が回り続けるのを確認し、確かにその車輪が一切の外部動力を得ていないことを認めた。
しかし、それでも尚、そうしたオルフィレウスの発明に疑いをかける人々もいた事は確かなようである。
一説によれば、オルフィレウスは時計職人として働いていたことがあると言われている。事実、後世のある時計技師が時計の内部に使うバネのメカニズムを用いることで、オルフィレウスが作ったものと同一の機械を作る事に成功した、と発表した事もあるのだ(実機は公開されていない)。しかし、実際にそうした機械が作られ、展示されたという記録はオルフィレウスのもの以外には残っていないのである。またその他にもある有名な数学者はそうした機械が存在することは物理学の法則に反するため、絶対に有り得ない、とオルフィレウスの発明について見る事もなく、一蹴している。

また1719年、オルフィレウスは「壮麗なるオルフィレウスの永久運動機械」と名付けられた本を発表し、その中で彼が用いた仕掛けを大まかに紹介している。書中の記述によれば、車輪の運動は「この運動は複数の重りに依存し、重りが中心から外れている限り運動は続く」とされており、更に、「それぞれの重りは決してその重さが均衡しないように配置される」と書かれている。また添えられた簡単なスケッチにはそのシステムが描かれているが、実際にその車輪を目にしたものは確かに車輪が動いている最中、複数の重りが上下している様を見たと語っている。
オルフィレウスの挑戦
そして1717年にはオルフィレウスは懐疑論者達の疑いを晴らすため、ある大掛かりな公開実験を行っている。10月13日、車輪はそれまで展示されていた庭園の小屋から城内の大きな部屋に移され、11月12日、機械が誰にも触れないように役人がその部屋のドアを固く密閉した。そしてその2週間後、ドアを開けてみたところ、確かにまだその車輪は動き続けていたのである。そして更にその後も一度ドアを密閉し、その凡そ2ヶ月後の1月4日、再び扉を開けたところ、尚、車輪は回り続けていたのだ。
1956年、フランク・エドワーズはこの挑戦の結果を「ベスラーの優雅なる車輪」という記事にて以下のように記述している。
11月12日、全ての準備は整った。カール大公は数人の調査者(ライデンのフラーフェザンデ教授、ボイセンのディートリヒ博士、高名な機械整備師のフリードリヒ・ホフマン、ハレ大学校長クリスチャン・ウォルフ、数学機械器具メーカーのジョン・ローリー、他数名)に機械を調べさせた。
調査団はオルフィレウスの機械が設置された部屋に入り、部屋の中央に布を被されて設置されているその機械が直径3.6m、厚さ35cmから成り、鉄のシャフトと木造の車輪から出来ていることを確認した。しかし内部のシステムは以前と同様、油を塗った布で覆い隠されていた。そして更に、調査団は実際にその機械を動かしてみることにした。実験の開始を担当したのはバロン・フィシャー男爵である。フィシャー男爵がその手で軽く車輪を回すと機械はいよいよ回り始め、車輪はやがてゆっくりとその回転速度を増し、最終的には分速26回転に落ち着いた。
その後更に車輪についていくつかの検査が行われた後、今度は機械が設置されている部屋そのものを詳しく調べ、決して誰も入ることができないようあらゆる箇所を徹底的に封じた後、回転を続ける車輪を残して部屋を後にした。そして更にドアを厳重に鍵をして封じたのち、万が一誰かがドアに触れたら分かるように、ワックスをドアに塗ったのである。
そしてその14日後、ドアの封を開けて部屋に入ると、車輪は実験開始日となんら変わらない様子で車輪は回り続けていた。そしてまた一旦封をし、今度は1月4日にドアを開けるも、やはり、車輪は何も変わらぬ様子で回り続けていたのである。
その後、調査団は車輪に何ら疑わしい部分が無かったことを報告した。彼らはおそらく、確かにあれは永久運動機械ではないか、と結論したのである。
調査団のフラーフェザンデ教授はかのアイザック・ニュートンに書簡を送り、一連の出来事の様子を以下のようにしたためている。(ちなみにニュートンは永久運動機械について「永久運動機械を作るものは無から有を得ようとしている」と記述している。)
「中空の車輪、ドラムのようなその車輪は、内部を見せないようキャンバス布で覆われている。また私はその車軸を詳細に点検したが、車輪外部のいかなる力もその車輪の運動には影響していないことを確認した。」
この記述を見る限り、フラーフェザンデ教授は完全に永久運動機械を本物であると確信していたようである。
しかし、忘れてはならないのは、この公開実験においても - それまでと同様に - 消して内部システムの動作を見ることが許可されていなかったという点である。しかし、カール大公だけはかつて実際にその内部システムを見ることを許可されたことがあり、その内部システムをして、以下のように表現している。
「油を塗られた布が取り去られたとき、私が目にしたのは重りとレバーから作られた非常にシンプルな仕掛けである。オルフィレウスの語るところによれば、二つの車輪につけられた重りが車輪の回転と共に移動し続けることで絶えず不均衡な状態を作り、車輪は回転を続ける。秘密があるとすれば、それは重りが車輪下部にあり、上に向けて車輪が回転する際に重りをいかに移動させるかにある。また重りが頂上部から車輪の回転と共に下に向けて移動するとき、小さな釘によってその移動がブロックされていた。」
そしてこの永久運動機械にいたく感動したカール大公はオルフィレウスからその機械一式の買い取りを申し出た。その値段をオルフィレウスに尋ねると、オルフィレウスは2万ポンドという額を要求した。それは当時の値段にして莫大な金額である。そのため、カール大公はその機械を買うことを一旦諦めたが、ロンドンの王立学府に打診し、機械購入のための資金繰りを申し出たのだ。もしも機械を発展させることが出来れば、それは無尽蔵のエネルギーを生産できる可能性を秘めているからである。しかし、悲劇はその直後に起こった。その後王立学府はカール大公の申し出を認め、資金を提供する許可が降りたが、ある日、前述のフラーフェザンデ教授が勝手に機械を調査しようとしたことを知ったオルフィレウスは「金を払わずに秘密だけを盗むつもりなのではないか」と激怒し、機械をめちゃくちゃに破壊してしまったのである。
その後オルフィレウスは歴史から姿を消す。彼は1745年、65歳でこの世を去ったこと、そして死ぬ前にも何度か永久運動機械を作ったことだけがおぼろげに記録されているのみである。
そして貴重な資料の多くもオルフィレウスの死と共に消失している。オルフィレウスは本当に永久運動機械を作ったのだろうか。もしも彼の作ったその車輪が残されていたとしたら、今もどこかでその歯車は回り続けているのだろうか。真相は謎のままである。