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雑記
「四肢切断を熱望する人々 - 身体完全同一性障害とは 」


四肢切断を熱望する人々 - 身体完全同一性障害とは

【NYTIMES/etc】
数年前のある日、米ニューヨーク、コロンビア大学の精神医マイケル・ファースト氏のもとに、片足の男が自分で車を運転してやってきた。
当初ファースト医師は、男の行動を大したものだと感心したという。
"自らのハンディを克服して、片足で自立的に生活しているのだろう"、そう考えたのである。
しかしそんな博士の思惑は直後に翻されることになる。
男は、その足を事故などで失ったのではなく、自ら望んで切り落としたと医師に告白したのである。
そして男は続けた。
"もう片方の足も全く健康で問題はないんですが、どうしても切り落としたくて・・・"。

その後、ファースト医師はこの男性の心理状況について調べはじめ、やがてある障害に行き当たった。
それは現在、身体完全同一性障害 - B.I.I.D(Body Integrity Identity Disorder)と呼ばれる、健康な人間が四肢切断を望むという全く奇妙なものだったのである。

「これは完全に常軌を逸した行動です。」ファースト医師の目算によれば、現在、世界で数千人程度がこの障害を抱えているという。

ファースト医師はその後、まだ一般的に知られることのないこの症状を巡り、他の心理学者、そして精神科医らとこの症状を定義するべく議論を始めた。
そこで博士はこの症状の起源について、またこの症状を一般的な症例として認め、辞典や統計医学書、あるいはD.S.M(米国の精神疾患の診断と統計の手引き)に記すべきかを論じ合ったとしている。

こうした究極的な選択的外科手術 - 健康な身体組織の切断 - は現在、例えば性同一性障害などにおける性転換手術の際や、美容外科整形手術の際には、程度こそ違え、普通に行われているものである。それは例えば第三者から見るならば全く問題のない、鼻や顎を手術によって整形したりといったようにである。
しかし先の男性に見られるような積極的な健康な四肢の切断、という症状は、確かに余りにも異常であるように思える。

博士によれば、このB.I.I.Dはしばしば患者による自傷行為 - それは鉄砲やチェーンソーを使って自身の四肢を強引に切断する行為 - となって現れるという。
例えば数年前には、こうした症状を原因として、メキシコはティファナにおいてある男性が足の選択的切断手術を行い、傷跡から壊疽して死亡するという事件が発生している。


四肢切断愛、性同一性障害

しかしまた、こうした症状自体は必ずしも現代に始まったものではないという。
1977年、ジョン・ホプキンス大学の性科学専門家、ジョン・マネー博士はこうした症状を、四肢切断愛(apotemnophilia;手足が切断されることを望む症状、または手足切断者に性的興奮を覚える症状)と名づけ、すなわち性的倒錯の中に位置づけている(画像は昨今、インターネットなどで出回る擬似的四肢切断愛の画像。当然、その多くは単なる合成写真である)。

そしてまた1997年には、米ニュージャージーのエングルウッド病院医師、リチャード・ブルーノ氏がこの症状を作為的身体欠陥障害(Factitious Disability Disorder)と名づけ、それらを三類型に分類している。

ブルーノ氏の分類は次のようなものである。
1.四肢が切断された人間に対して性的興奮を覚える症状(四肢切断熱愛者)

2.健全であるにも関わらず、松葉杖や車椅子を使い、障害者を演じる症状(四肢切断偽装者)

3.そして三つ目は実際に自らの四肢を切断したいと願う症状(四肢切断信奉者)

そしてブルーノ医師の分類に当てはめるならば、先にあげたような四肢切断を望む人々は第三型に分類されると言える。

また2000年、かつてマネー医師と共に共同研究を行ったニューヨークの小児心理学者グレッグ・ファース博士は、こうした四肢切断欲求についての本を記し、その中でこれらの症状を四肢切断同一性障害(amputee identity disorder)と名づけている。
そしてまた博士は著書において自身の経験=博士は子供の頃から、右足の膝下を切断したいという思いを抱いていたことを告白し、実際に四肢切断へと向かうその顛末を記している。

著書の中で、ファース医師は、まずこれまで実際に選択的四肢切断手術を行っていたという人物、スコットランドに住むロバート・スミス医師を探し出し、四肢切断を行うことを求めて面会した。
ロバート氏は博士の取材に対し、これまで実際に二人の足を切断したこと、そしてファース医師の要求に対しては、まず二人以上の精神科医のカウンセリングを受けることを条件に、その足を切断することに同意したのである。
そしてファース医師はいよいよ待望の四肢切断への切符を手にしたが、しかし同年、ロバート氏の勤めるファルカークロイヤル病院では、そうした選択的四肢切断手術を行うことが禁止されてしまった。そしてファース医師はとうとうその四肢を切断するという思いを果たすことは出来なかったのである。

現在、これらの症状はファースト医師の医学誌中の論文で始めて身体完全同一性障害(B.I.I.D)と命名され、論文において、博士はこうした症状を持つ52人に電話調査を行ったところ、そのうちの9人が既に四肢のうちいずれかを切断し、また残りの部分を早く切断したいと熱望していることが明らかになったと記している。

また博士は論文において、これらの症状を性的倒錯や精神病、身体醜形障害(body dysmorphic disorder)と区別するためにB.I.I.Dと命名し、またその障害は性同一性障害に類似していることを指摘している。

「初めて性転換手術が行われるようになったのは1950年代のことです。
これは自発的な身体の切断という新たな種類の恐怖を発生させることになりました。
その中で、外科医は自身に問いかけるわけです。
"いかなる心持ちで、これらの手術を全く健康な人に対して行うことが出来るのか?"そしてこのジレンマは、おそらく現在、四肢切断を問われる外科医も同じでしょう。」

しかしまた、博士はこの二つの症状の類似は当然完全なものではないと指摘している。

「性転換手術は、例えば誰かが男から女になるといったものです。それは事前事後、状態としてはどちらも正常なものです。しかし、完全に四肢を供えた人間の四肢をあえて切断することは、そう簡単な話ではありません。これはもはや普通の人には到底理解できない状況でしょう。」


身体醜形障害、神経性無食欲症

米オクスフォード大学のデヴィッド・スピーゲル博士はこの点について、B.I.I.Dと身体醜形障害、また神経性無食欲症(anorexia nervosa)との類似性を指摘している。
「このB.I.I.Dの患者は明らかに自己の身体について、誤った認識を抱いているのです。これは私にとって少なからず神経性無食欲症を思い出させるものでした。これら症状の患者は、自分の身体が明らかにそうでないにも関わらず、ものすごく太っていると錯覚するからです。」

また現在、このB.I.I.Dが一体どのような起源によるものであるのか、また如何なる治療法が有効であるのかは明らかでない。
ワシントン医療センターのマイク・ベンスラー博士らは2003年の医学論文において、それらの原因を性的なものと感情的なものによると分析している。
博士らの論文によれば、この症状は"性的空想"によるものであるとし、その要素を"四肢を切断し、その後それを乗り越える=即ち四肢切断後の性交"妄想によると記している。

またファースト医師によれば、症状の一つの特徴として、このB.I.I.D患者が非常に特定的に、"自分の四肢のうち何本、そして何処の部分を切断したいか"を把握している事が挙げられるという。そしてそれらの切断候補のうち最も多いのは、左足の膝上からで、逆に全く候補として挙げられないのが手足の指であるとしている。

「膝から離れたところではなく、丁度膝上10cm程のところを切断したがるんです。」

また博士は、彼らにとって、そうした切断の位置は非常に重要な問題であると話している。例えばファースト医師のもとを始めて訪れたB.I.I.Dの患者は、幼い頃から両足を切断したいという欲望を抱き続けていた。
そして男性はある日、ショットガンの偶発的事故で左腕を失ったが、驚くべきことに、事故後も全く両足切断への欲求は収まることがなかったというのである。

ファースト氏の最初の調査では、こうした欲求を抱く患者のうち、その半数以上がまだ幼い頃に四肢の切断欲求を抱いていたと話したという。
そしてその後、彼らは長年に渡って四肢切断を欲望するようになったというのである。

ファースト氏の最初の患者は、電話インタビューで匿名を条件に次のように答えている。

「別に四肢切断者になりたかったわけではないんです。ただ、足があることに違和感のようなものを感じていただけです。覚えている限りでは、まだ幼いころ、丁度3歳か4歳の頃でしょうか、クロケットの棒を松葉杖のようにして遊んでいたことがあります。その時、私は自分が足を失くした状態になっているのを想像して楽しんでいたんです。また例えばインディアンとカウボーイごっこをして遊ぶときは、私は常に自分が足を負傷した役になりたがっていたんです。」

そして男性は実際に四肢を切断することによってのみ、これらの障害から解放されると主張しているのである。しかしスピーゲル博士は単に患者の望み通り、四肢を切断しただけでは、この症状を治療することは難しいと予測しているという。

「こうした強迫観念や妄想に対して、現在ではまだいかなる答えもありません。」

スピーゲル博士は、既存の精神療法の中に何らかの有効策を見出せるのではないかと指摘している。
博士がこの中で特に期待するのは、反応妨害法(responce preventation)、あるいは思考中断法(thought-stopping)と呼ばれる手法である。

「こうした方法を用いて、患者の脳裏に四肢切断の妄想が浮かんだとき、患者がその条件反応を演じることを妨害するわけです。」

しかしファースト医師によれば、氏が受け持つ患者のいずれも、これまでに行われたいかなるセラピーや治療法も彼らの妄想を抑止することはなかったという。
そして氏はその原因を、"この障害に最適化された精神療法"が行われなかったこと、もしくはこの障害と関係する強迫観念障害患者に投与されるような"持続性の高い"薬の投与が行われなかったこと等が原因であると指摘し、今後、四肢切断が果たしてこうした患者を救う"最後の手段"として是認されうるものかも検討していくと話している。

一方、こうした障害を抱える患者らに対して、事故や病気などで実際に四肢を失った人々は、まるで呆れた様子を見せている。

「一体何故このような方法で自分の四肢を切断したがるのか、その苦しみを知っている人間ならば理解に苦しむのは当然です。事情によって強制的に四肢を切断しなければならなかった人々は、毎日、人工器官を使うことに大きな問題を抱えているんです。」

四肢切断障害者のサポートグループ会長を務めるパディ・ロスバッハさんはそう語っている。
幼い頃に片足を失ったロスバッハさんによれば、事情によって四肢を失った人々は、彼らのようなB.I.I.D患者に対して、怒りすら覚えているという。
それは彼らがこうした四肢切断という状況の困難さを余りにも過小に評価しているからである。


四肢切断を望む"普通"の人々

ファースト医師は、これら異常な妄想を抱くB.I.I.D患者は、普段は全く"普通の人"ばかりであると話している。
「彼らには家族もいますし、普通の仕事をもった、それこそ医師や弁護士、大学教授などといった人々です。従って、これらの妄想を抱く人々を日常の中で見出すことは凡そ不可能でしょう。彼らは普段は全く正常な人々なんですから。」

しかしスピーゲル博士は、"例えば精神病患者のように深刻な精神的問題を抱えた人々が、外見上には普通に見えることは決して珍しくない"と指摘し、次のように話している。

「単に外見だけでは、その内側奥深くに秘められた問題を見出すことはできません。こうした妄想を抱く人々が精神病の検査さえ簡単にパスすることは、全く珍しいことではないんです。 彼らは抽象的に物事を考えることが出来ますし、決して混乱しているわけではないんです。従って、普段の生活の中からは、そうした問題が全く見えないことは決して珍しいことではないんです。」

確かに、スピーゲル博士がそう語る通り、現在これらの症状を持つ人々は決して少なくはないのかもしれない。
中でもかつて新聞にも取り上げられた以下の事件は、こうした四肢切断熱望者が引き起こした中でも最も有名なものである。

1988年5月、
カリフォルニアはサンディエゴの元外科医ジョン・ロナルド・ブラウン(77歳、この医師は20年ほど前に性転換手術の相次ぐ失敗で免許を剥奪されていた)の元にある男が駆け込んだ。
フィリップ・ボンディと名乗るその男は、左足を切断して欲しいとして、ブラウン氏のもとを訪れたという。
そしてブラウンとボンディはサンディエゴから国境を挟んで程近い、メキシコはティファナに移動し、そこで100万円相当の報酬を受け取って手術を行った。
しかし手術は難航し、ブラウンはひとまずボンディをサンディエゴのモーテルに運び、そこに置き去りにしたのである。

そして二日後、ボンディは患部の壊疽によって死亡しているのを発見され、ブラウンは第二級殺人の罪に問われた。公判中、当時の新聞が伝えたところによれば、ボンディは"性的欲求"を満たすために手術を依頼したとされた。
そして裁判の結果、1999年10月、ブラウンは有罪とされ、15年の懲役を言い渡されたのである。

この事件は当時、異常を極めるものとされたが、それからしばらく経った現在、もはやボンディの症状は決して彼だけのものではないことが明らかになりつつある。
2003年5月、サンダンスチャンネルが放映した"Whole"(メロディ・ギルバート監督)というドキュメンタリ番組においては、ボンディのように四肢切断を熱望する人々が多数紹介され、話題を呼んだ。その中では例えば、フロリダに住むある男性 - 彼は自分の足を銃で打ち抜き、ただちに足を切断するよう医師に懇願した - や、イギリスはリバプールに住む男性 - 同じ理由から自分の足をドライアイスで包み込んだ - などが紹介された。
そして特に後者の男性は、そうした四肢切断手術を"身体矯正手術"と呼んでいる。

そして以降、こうした四肢切断というテーマは様々なメディアにモチーフとして扱われるようになる。
例えば昨年夏に行われたニューヨークの演劇祭では、受賞作品として"Armless(腕なし)"が公演され、その中ではこうした四肢切断欲求を抱く都市郊外に暮らす中年男性が描かれている。
また劇作家のカイル・ジャロウ氏は作品の主題を"グロスと恐怖、笑いと痛みの分水峰を探求すること"であると語っている。

また11月には、CSIのドキュメンタリ番組として、この四肢切断妄想を抱き、チェーンソーで足を切断しようとして大量出血死した男性の逸話が紹介され、また今年2月にも、米ニューヨークのイーストヴィレッジにて公開された"Pretender's Dance(トム・キーフェ監督)"なるショートフィルムでは、コレオグラファーの女性と、四肢切断妄想を抱くその彼氏の物語が描かれているのである。


ヒポクラテスの宣誓

これまでこうした障害を抱えた患者の足を実際に切断してきた先のロバート・スミス医師は、現在、こうした障害はもはや一般的な障害として認知されるべき問題であり、またNHS(英国の国民健康保険制度)でカバーされるべきであると主張している。

「ヒポクラテスの宣誓(医師の倫理規定)においては、まず患者を害しないことが謳われています。」
スミス氏は"Whole"のインタビューにおいてそう語り、次のように続けている。
「しかし、本当の害とは、患者が欲する治療を拒否すること、即ち、そうした辛い精神状況を放置しておくことなのではないかと思うわけです。
そして患者が治療を望み、幸福を得たいとするのならば、四肢切断さえ行わなければならないのではないか、そう思うのです。」

またスミス氏と共著したファース医師は、今後このB.I.I.DをDSMに掲載するべく、積極的に働きかけていくという。D.S.Mとは米国の精神医科学協会が定める精神病の手引きである(またそれらのリストを元に、精神病患者らに対する、保険適用の可否が判断される)。

またファースト医師は現在、次のDSM編纂に向けて準備を行いながらも、まだこの症状を一般的なものとして掲載するべきかどうか、判断しかねているとしている。現在、これらの症状を研究する人は数少なく、その実態の多くは明らかではない。しかし博士は、D.S.Mへの掲載によってこれらの障害についての研究者が増加し、研究が進むならば、その起源や治療方法が発見される可能性は高いとし、最後にこう付け加えている。

「D.S.Mは現在、既にとても分厚い本です。
臨床的な参考書として見るならば、厚くなればなるほど、使えない本になることは、また事実です。
またこの症状が本物だったとしても、D.S.Mのような包括的な書物においては、(B.I.I.Dは)余りにも稀な症例であることには間違いがありません。」

【参考1】B.I.I.D.ORG | BIID : The BME Encyclopedia 身体完全同一性障害(BIID)とは、身体の積極的な選択的切除手術を望む心理学的症状である。この症状を持つ人は、自身が理想化するイメージに自身の身体を適合させたいという継続的な欲求を経験する。

BIIDは決して精神病の一種ではなく、また精神異常でもない。これらの症状は性同一性障害と最も近い類似性を見せ、またその共通点として、幼年の頃からそうした自身の身体に対する違和感を感じるということが報告されている。

またこの"障害"のきっかけとなるのは、幼い頃に四肢切断者を見たことによる場合が多い。多くの場合、この障害を抱えた人々は、明確な記憶として初めて四肢切断者を見たとき、自身の身体をそれに近づけたいという強い欲求を抱いたこと、あるいはそれが無意識的に認識されたことが報告されている。またその年齢は4歳から5歳のときである。

これらの障害を抱える多くの人々は、以下のような症候を示す。

1.四肢が全て揃っていることに対して、"不完全性"を感じ、逆に四肢が切断された状況に"完全性"を見出す。

2.四肢とその切断に関して強い概念を抱いている。

3.四肢切断者を見た場合などに、強い嫉妬を覚える。

4.四肢切断に対し、欲望と交錯した不安を感じ、またそれを他者に知られることを避けようとする。
BIIDを持つ多くの人は、これらの考えに対して孤独感を感じ、即ちこうした欲望を誰も理解しないと考え、また他者とそれを共有することを不可能であると考える。またそうした感覚から来る欝などについて、精神科医に相談した場合でも、決して四肢切断の欲望それ自体に関しては打ち明けようとしない。

5.欝を繰り返し、自殺願望を抱く。

6.四肢切断の予行として、一人で、また人前で、擬似的に四肢切断者の真似を行う。

7.こうした四肢切断を欲望するのは世界で自分一人であると考え、世界から孤立しているという妄想を抱く。

またこうしたBIIDを抱える者は、四肢切断が実際には不安や欝から解放させる手段になるという確信を持てず、いつまでたっても自身が理想する"完全性"へ到達できないという不安を抱く。
そしてそうした不安から、危険な自傷行為 - 例えば銃を用いて自身の四肢を打ち抜く、燃やす、わざと菌に感染させる - を行い、医師による不可避的な四肢切断へと自らを導く場合もある。

また現在、一部では、BIIDを正式な障害として認め、選択的四肢切断という"治療"を与える病院も存在している。
しかしまた、そうした病院への反発は大きく、後にそうした手術の中止を言い渡されているケースが多いのが実情である。

考えられん